2017年07月10日

日本の夏至

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6月11日は、「入梅」という暦でした。
字のごとく梅雨入りをする日です。
今年は8日が関東地方の入梅発表でしたので、ほぼ同じ時期だったと言えるでしょう。

(関東地方では)これから7月20日過ぎ頃まで雨の日が続きます。
この雨がなければ作物も育たないので、大事な雨です。雨を嫌わず楽しめたらいいのですが・・・

6月21日は「夏至」です。
「夏至」は1年で最も昼の長さが長い日です。
5月の立夏を過ぎて、5月半ばを過ぎた頃から、夕方7時を過ぎても空が明るいこと、朝も明るくなるのが早くて、目が早く覚めてしまう、というようなことがあったのではないでしょうか。

前にも書きましたが、太陽の明るさを(熱ではなく)を感じるはずのこの時期。
朝の明るさの早さや暗闇が訪れる時間の遅さを感じはしても、日中は太陽の明るさを感じることができないのが日本の特徴でしょう。
丁度梅雨の真っ只中ですので、空は厚い雲に覆われていることが多いからです。
1年を通して太陽の高さが低い北欧では、夏至の日は大きなお祭りを行うそうです。
日本でも最近は、夏至の日に電気を消してろうそくを灯しましょう、というイベントが行われるようになったようです。
運よく夏至の日が梅雨の中休みの晴れ間が出たら、その光をたくさん浴びて、1年で一番明るい太陽の光を感じてみましょう。
posted by Hiromi Gokon at 14:47| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

初夏 (5月)

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5月5日は「立夏」でした。
緑も濃くなり、夏日という気温の日もまだ数えるくらいですが聞かれるようになりました。

みなさんは「立春」「立夏」「立秋」「立冬」という季節の変わり目を含む、1年を24に分けた中国から伝わった「二十四節季」を、日本の季節に合っていると感じますか。
それともやはり地理的に違うところの暦だからずれている、と感じられますか。
私は東北育ちですので、「立春」にはまだ雪があり2月下旬が最も寒さが厳しいという感じでしたので、「どうして春なの」「暦の上ではでしょう」と思っていましたが、関東に来て、二十四季と季節が一致しているなと、思いました。
「立春」には梅が咲いていますし、「立秋」には虫が鳴き出します。 

日本は南北に長い地形ですので、どうしても地域による季節の差ができてしまうのでしょう。
この暦が伝わってから(きっと遣隋使、遣唐使の頃 平安時代でしょう)現在まで無くなることなく伝わってきたのは、やはり日本の季節にも合っていたからではないかと思います。
但し、中央政府があった京都奈良、東京の季節に。

そのような、自然の様子との関係を見れば、そのように思いますが、太陽の様子。
たとえば、陽の光の強さ、日の出日の入りの時間。
それに伴う空の色などから季節を感じればまた二十四節季による季節感を感じることができるように思います。

この二十四節季による季節の区切りで考えた季節の中で最も変化があるのは夏ではないでしょうか。
5月5日(毎年必ずこの日とは限りませんが)の「立夏」から8月7日頃の「立秋」まで。
まず6月上旬まで、爽やかな心地よい日々が続き、6月上旬から7月中旬までの雨が多く湿り気の多い季節。
そして7月下旬から8月7日頃の「立秋」までの、猛暑。8月中旬から9月中旬まではまだまだ暑いですが、秋の虫が鳴き、日が沈む時間も早くなり、夕焼けの色も赤くなる、という夕方の様子は、やはり秋を感じさせますので、「残暑」という表現が使われるのでしょう。

このような季節の変化、それに伴う感性は日本独自のものでしょう。
そしてそれに伴う年中行事という文化たくさんの民族が出会うグローバルな現代だからこそ、自分の民族としてのアイデンティティーをしっかり持つ時代でもあるように思います。
そのひとつが日本人の季節感のように思います。
posted by Hiromi Gokon at 11:53| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

春のお彼岸(3月末)

春のお彼岸を迎えました。
お彼岸は春と秋2回あり、太陽が真西に沈む春分の日、秋分の日をはさんでの一週間をいいます。

なぜ、夏至(一番昼の長さが長い日)や冬至(一番昼の長さが短い日)は祝日でないのに秋分の日、春分の日は祝日なのでしょう。

それは、お彼岸には特に中日には、お墓参りをする、という日本の文化があるからです。
この日は全国的にお休みにしお墓参りができるように、と祝日にしたのです。

なぜ春分の日や秋分の日にはお墓参りをするのでしょう。
それは、黄泉の国(彼岸・亡くなった人がいる場所)は西にあると考えられていて、西に日が沈む日は、現世と黄泉の国が繋がる時と考えられているからです。
その日をはさんで一週間を彼岸として、お墓参りをしご先祖様と繋がる期間としたのです。

「春の連休どこへでかけましたでしょうか」というニュースのアナウンスもありましたが、まずは「お墓参りです」という返答、あるいは「みなさん、お墓参りにはお出かけになったでしょうか」というアナウンスがあってもいいのです。

お彼岸には、「おはぎ」「ぼたもち」という、もち米とうるち米を炊いたものに塩を少し混ぜ半突きにしたもののまわりに、甘く煮たあんこやきなこをつけたお菓子をお供えします。
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同じお菓子なのに違う名前になるのはなぜか。
「おはぎ」は秋の彼岸にお供えするものとして、秋の七草の「萩」から。
「ぼたもち」は春のお彼岸にお供えするものとして、まだ少し早いですが、春の花「牡丹」からきていると言われています。

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますから、もう今後は暖かさに向っていくことでしょう。
桜の見ごろももうすぐです。
posted by Hiromi Gokon at 00:32| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

3月 桃の節句

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写真は「林誠司 俳句オデッセイ http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/33026466.html」より

2月も終わりに近付き、3月3日の「桃の節句」ももう直ぐです。
お店には、桃の節句のお菓子や、お料理、飲み物が並んでいます。

お節句は、中国から伝わってきた行事で、奇数の月と日が重なった日(奇数を陰陽の陽と
考えていますので陽である奇数が重なった日)に厄を払うということをします。

1月1日(元旦なので1月7日)3月3日、5月5日、7月7日、9月9日と年に5回あります。
昔は月の暦でしていましたから、現在の約1ヶ月遅れの時期にしていました。
そのため、今の季節とはずれることになり、「桃の節句」もまだ桃が咲かない頃に
やることになってしまいました。

「桃の節句」も厄払いの意味があります。
紙や藁で作った人形に身体の悪いところを移し、川や海に流します。
写真は神奈川県松井町での撮影とのことです。

いつも思うのですが、現在の3月3日頃に咲く花の名前を入れることに変わらないのは面白いなと。
その理由として、お節句の意味が余り広まっていないこと。
また、お節句に用いられる植物は、そのもの自体が厄を払う役目を持つと考えられているものだ、
ということです。

春の七草には、薬効成分やビタミン、鉄分が多く含まれ、桃は長寿の象徴であり葉には薬用成分。
端午の節句の菖蒲やヨモギも薬用成分があります。
菊の節句の菊も長寿の象徴です。

お節句を、新暦でするか旧暦でするか。
お節句の本来の意味で行うのであれば、現在使っている暦の奇数が重なったに日するのが良いし、
昔の人々が行っていた季節感を感じたい、その植物の一番旬の季節を感じたい時は、旧暦でするのが
良いのではないでしょうか。

今年の旧暦の3月3日は3月30日です。
posted by Hiromi Gokon at 11:01| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

2月上旬

「立春」を迎えました。
梅の花も咲き「新春のお慶びを申し上げます」という新年の挨拶の言葉がぴったりの季節になりました。
    
「立春」を1年の始めとする考えもあり(農業の暦)、また旧暦では、この頃が1月1日になることもあって、新年のご挨拶に「新春」「迎春」という言葉が入ることは、頷けます。

そのことから、「立春」の前日、「節分」の豆まきを「大晦日の豆まき」ということもあります。

「節分」というのは、季節の変わり目「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことをいいますので、年に4回あります。

しかし、私達に馴染みがあるのは、「立春」の前の「節分」。
それは、農業の国日本は、作物の収穫のサイクルをもって1年と考えてきたため、「立春」1年の始めという考えから、(日本の新年度が春から始まるようになったのは、そのことも関係していると言われています。)「立春」の前の節分は特別なものになったようです。

我が家の豆まきは実家福島県の阿武隈山系のやり方ですが、このように行います。
夕方日が沈むと早いうちに豆まきが始まります。
それは、鬼は日が沈むとやってくるからです。
またあまり遅い時間にすると他の家から追い出された鬼がやってきてしまうから、日が沈んだら直ぐに豆まきをするのだと聞かされました。

まず鰯の頭をちぎり割り箸に刺し、コンロの火で炙ります。(昔は囲炉裏の火でしたでしょう)

炙る時には、自分の嫌な部分、そうなって欲しくないこと(例えば泣き虫、怠け、いじわるなど)を「○○の虫焼き申ーす」と言ってつばを4回かけてから火にかざし、順に家族に渡していきます。
すっかり焼けてしまうと良い臭いになってしまうので、鬼が嫌がるようにと半生の状態にします。
そして鬼の嫌がる柊(ひいらぎ)(葉の先のとがった所で鬼の目を刺す)、豆ガラ(揺すった時に鳴る音を怖がる)と一緒に、玄関や窓の両脇に差します。

そしていよいよ豆まきです。
まく人はその年の干支の人、つまり歳女、歳男がまきます。
いない場合は、その家の家長がまきます。
豆は煎った大豆をまきます。
生の豆だと落ちた所から芽が出てきてしまい、鬼がそれを辿って家に来てしまうからだそうです。

窓を開け放し、まず神棚に豆が入った枡を供えて、拝みます。
枡を取り、神棚に向かって「てんしょうこうたいじんぐうさまにあげまーす。ふくはーうち」とまきます。
私は子どもの頃「てんしょうこうたいじんぐうさま」とは何なのだろう、と思いながらも毎年父が言うのを聞いたり自分でも唱えたりして覚えていました。

数年前初めて船橋大神宮に初詣に行きお札を買いましたらそこには「天照皇大神宮」と書いてあり、「てんしょうこうたいじんぐう」というのは「あまてらすおおみかみ」の音読みしたものだったとやっと分かったのでした。
父の実家は農家でしたので大きな神棚には「天照皇大神宮」が祭られていたのでしょう。

さて神棚にまいたら今度は窓に向かって「おにはーそと」とまき、後は「ふくはうち」と「おにはそと」とそれぞれの窓でまいていきます。
まき終った窓は、鬼が入って来ないように直ぐに閉めます。
こうしてすべての窓をまきおえたら、自分の数え歳(簡単計算方法は、今の歳に1つたした数になります。生まれ月により、異なる事もあります)の数だけ豆を食べ無病息災を祈り豆まきは終わります。
節分の日の食卓には、頭をとったいわしの丸干しがありました。
こうして次の日は、春となります。

しかしいくら「豆まきをしたから次の日は、春」といわれても、雪が積もった庭に豆をまくのですから、あまり実感が無かったのを覚えています。

「立春」が過ぎて、2月の初めての「午」の日に「初午」という行事が行われます。

農業の神様、お稲荷様が山から降りてくる日です。
新暦で行うと、まだ寒さがある頃ですが、昔は旧暦で行っていましたから、今の3月始め頃におこなっていました。
この日には、稲荷神社でお祭りが行わ、お稲荷様の化身と言われている狐のお面などが売られているのを、買って、子ども達が、賑やかにお囃子をならしながら唄を唄い、練り歩いたそうです。
ここ、中野木の部落では、藁で大蛇を作り、辻斬りとして部落の入り口2箇所の大木にくくりつける行事が行われます。

今年の新暦での「初午」は、2月12日、旧暦では3月8日になります。

お近くに稲荷神社がありましたら、是非お出かけになり、農業の神様をお迎えください。
posted by Hiromi Gokon at 19:48| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

お正月

新年明けましておめでとうございます。
みなさま、どのようなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
今年もどうぞよろしくお願いしたします。

お正月を迎える準備は、半月も前の12月13日「正月事始め」から始まります。
この日に神社、仏閣ではすす払いを行います。
家庭では、大掃除を始めたり、お正月の飾りである角松や〆縄を作ったり、お正月
用の食器を用意したりなどをする日です。
現代ではクリスマスが終わらないとお正月を迎えるという感じがしにくいですが、
昔は半月もかけて準備をするのがお正月だったのでしょう。

おせちのテレビコマーシャルで、「おせちは、歳神様をお迎えするご馳走」と
言っていましたが、お正月は歳神様をお迎えする日であります。
では歳神様はいつまで各家庭に来ていつお帰りになるのでしょうか。

歳神様は、大晦日の夜に人々の新しい歳魂を入れた大きな袋を担いで各家庭に
やってきます。
歳神様が家にちゃんとやってくるようにと目印に、角松を置いたり、奇麗に
して神聖な場所になっていますよ、という合図として〆縄を家に廻らしたり
入口につけたりします。
喪中の家が〆縄飾りをつけないのは、「喪中ですので家には来ていただかな
くて結構です」という合図になります。(歳神様が来なかったらその家の
家族は歳が増えないことになってしまいますが、そのあたりのことはまた
調べてみます)
そして歳神様は大晦日の夜に一人ひとりに新しい歳魂を与え、元日はみんな
一つ歳をとり心も体も新しくなります。

その歳神様が帰るのは、14日の夜、あるいは15日の早朝と言われています。
この日には、各家庭で取り付けていた角松や〆縄を持ち寄り櫓を組んで火を
つけ燃やす「どんど焼き」が行われ、その煙と共に歳神様はお帰りになります。
この時にお正月に書いた書き初めを一緒に燃やし、火が高く上がったら書が
上手になる、と言われていました。

先日船堀のわらべうたの会に参加されている長野出身の方が、小学生の頃
その行事をしたのを覚えているとお話してくださいました。
どんど焼きの火でおもちを焼いて食べ無病息災を願ったり、書き初めを
焼いたり、とても楽しい行事だったそうです。
長野ですので雪も多いためでしょうか、冬休みが関東より長く、
「14日夜にこのどんど焼きを終えて15日から学校が始まったように思う。
この行事を終えてお正月もお休みもすべて終わりいつもの生活が始まる、
という感じがした」とお話されていました。

また愛媛出身の方は、15日の早朝まだ暗い時に行ったことを覚えていました。
寒空の中燃え上がる火を見るのは圧巻だったそうです。

みなさんは正月飾りをいつ取り外しますか。
一般的には「松の内」が終わる7日とされています。
私の実家でもそのようにしていました。
新年を迎えた最初の7日間を「松の内」といいますが、つまり「松飾りを
つけている間」ということです。
でも先ほど14日か15日の「どんど焼き」で正月飾りを燃やし歳神様を
送る、と書きました。
ではこの残りの約7日間は「お正月」なのでしょうか。
お正月ではないのでしょうか。

実は、新年始めの7日間を「松の内」とし7日に正月飾りを取り除く、
ということは江戸時代の江戸市中で始まったことでした。
江戸時代、商業が発達し14、15日間角松や〆縄などを付けたままに
しておくと商売の邪魔になる、ということから「7日間で取り外すように」
というお触れが出たそうです。
それが現代でもごく普通に行われているのですから凄いことです。
つまりこの時から、歳神様は、正月飾りのない家で7日間ほど過ごさなくては
ならないことになってしまったのです。
しかし農家では、歳神様が帰えるまで正月飾りを付けておくことができ、
またそれを燃やす稲刈り後の田んぼもたくさんあることから、どんど焼きと
共に歳神様を送るということが残ったのでしょう。

どんど焼きが終わると1月15日から「小正月」という農作業のお正月が20日
まで続きます。
旧暦で行うと、現在の2月中旬頃になりますから、「立春」を過ぎ、初春を感じる
頃に行われていたことになります。
秋田県美郷町では、700年以上、小正月の行事が旧暦で行われていて(旧暦で
行うと毎年日にちが変わってしまうので毎年新暦2月11日から15日に行われます)国の重要無形民俗文化財に指定されています。


そして1月20日の「二十日正月」で堅くなった鏡餅を下ろして鏡開きをし、
「二十日歯固め」といって、堅いお餅をしっかり噛んで歯を丈夫にし長寿を願い
ます。
今では1月11日が鏡開きとされていますが、昔は20日だったのです。
徳川家光が4月20日に亡くなったため、20日は忌日とされ、江戸時代に蔵開きと
同じ11日となりました。
こちらも、江戸時代に変えられてしまったことを、現代でも行っているのですから
凄いことです。
でも地方では、「二十日正月」の行事と共に鏡開きをすることが、続けられていました。
私の祖父母の家でも「二十日正月」を行っていました。

さて、みなさんは、お正月飾りをいつ取り外しことにしますか。
江戸時代のお触れの通りに7日でしょうか。
それとも歳神様がお帰りになる14日でしょうか。
本来の意味に則って14日にする場合は、ちょっと勇気が要りますね。
7日に外すことが一般的になっている今日では、玄関先を通った人に「あらら、
このうちまだ正月飾り外していないわ。なんとものぐさなんでしょう。」と思われ
かねないからです。
私はここ数年前から、勇気を持って14日に外しています。
みなさんはどうなさいますか。

posted by Hiromi Gokon at 19:47| 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする